電気の武者(前編)

いまはよく「情報の時代」と言われます。いや、昔だって「情報」はあったわけで、ただ、その情報を知り得る方法や、流れ込む、または飛び交う量が違うのでしょうか。言い換えれば「情報過多・情報過剰の時代」ですね。

なんといっても、個人で持てるコンピュータの普及やケータイ電話などのハード、それらを使うソフトウェアなどの敷居が低くなったのが大きいでしょう。情報を受信するだけではなく、いまこうして書いているように、発信することも容易になりました。ちょっと前まで、情報をひろく発信する手段はかなり限定されたものでした。新聞社、出版社、テレビ・ラジオ局など。個人でできる事といえば、地域のカワラ版や学級新聞がいいところ、ちょっと財力と情熱がある場合でも、地域密着型のFM放送局や自主映画、自費出版や自主レコード等がせいぜいです。そうでなければ極端な話、不幸のハガキを50人に出すために、50枚のハガキを手書きで書く労力やハガキ代だけで大変なことです。

話は違いますが、財力で思い出しました。私は宇宙に行きたいです。私は70年代生まれ、幼少より宇宙に行ってみたいと思っていました。そして大人になった頃にはきっと行けるものだと信じていました。そんな私の思う宇宙とは、まぁ、片道に何十光年みたいな深宇宙と言わないまでも、月面や火星に降り立つ、それが無理でも、ガラスの金魚鉢の親玉みたいなヘルメットと宇宙服、それに命綱を装着してEVA、すなわち船外活動のようにフワフワ漂う、というものです。

それなのに、訓練に数年、費用が数千万だか数億だか数十億、そして数分だけ無重力をご体験?そんなの、私に言わせれば宇宙旅行じゃありません。だったら私は行きません。準備運動に10分間、入場料400円、そして2時間楽しめる区民プールに潜ってるほうがよっぽどマシです。と言うものの、財力があれば……行く?

ちょっと話が逸れました。閑話休題、それはそれで、以前は個人に対する情報量のバランスはある程度、適切だったように思います。少し物足りないなと感じるのであれば、あとは自分なりに情報アンテナを磨いたり延ばしたり、あるいは立てる本数を増やすなどすればよかったのです。

「ロンドン・コーリング」ザ・クラッシュ

" LONDON CALLING " The Clash

現在は違います。大変です。アンテナが多少錆び付いていようとも、大小様々玉石混淆取捨選択、いろんなところから迫り来る情報の洪水を見極める力・捌く要領・割り切る気持ち、などを必要とします。

なんといっても情報は、量より質が大切です。でも、少ないよりは多いほうがいいでしょう。極端に制限された情報量というのも何やら不穏ですし、何より選択の幅が広がる楽しさがあります。

ただし、それでも多すぎるのは考えものです。何かのきっかけで、せっかく得た情報を捨てるのは勿体ない、第一、どこで拾うと捨てるの線引きをするかが難しい。かといって、すべてを試したり実行したり鵜呑みにするには、莫大な時間やお金その他が必要です。なまじ知っちゃうと、ホントに悩ましいですね。済みません、なかなか具体性のある話にならなくて。

(中編へ続きます。)

書き下ろし 2008年 8月


追記:本文とタイトルと画像、徐々に合致していきますのでご心配なく(?)

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